レクサークルでバンドでもやっていたのでしょうか、バスドラのみが残っていました。

回転式チャンネルのTV

休憩時間にバスケをやっていたのでしょうか‥

夕張の帰り道でみかけた農場‥中々のセンスですね。

??サイロ型ドームがペアで。

この農機具は今は使われてるのか‥わかりません。

ちょっと重い内容が続いたので軽めに締めくくりました‥ポチ!

回転式チャンネルのTV

休憩時間にバスケをやっていたのでしょうか‥

夕張の帰り道でみかけた農場‥中々のセンスですね。

??サイロ型ドームがペアで。

この農機具は今は使われてるのか‥わかりません。

ちょっと重い内容が続いたので軽めに締めくくりました‥ポチ!
北炭真谷地炭鉱は1905年(明治38年)に開鉱した鉱山で、北炭夕張、三菱大夕張などと並び、夕張を代表する大規模炭鉱で、年産70万トン級を誇ったが、1987年(昭和62年)に閉山した。夕張で北炭として操業していた最後の炭鉱でもある。閉山から20年の時が過ぎた現在、炭鉱跡には貨車積みポケットや事務所などが未だ現存しています。
20年の歳月が錆びと腐食でもうかがえます。

配電盤でしょうか、近くには錆びたドライバーが

いたる所にボルトが散在してます。

ボイラー施設の残骸でしょうか

さすがにステンレスは錆びひとつなく残っています

この他にも当時を偲ばせる小物が多数残されていました‥続く‥ポチ!
20年の歳月が錆びと腐食でもうかがえます。

配電盤でしょうか、近くには錆びたドライバーが

いたる所にボルトが散在してます。

ボイラー施設の残骸でしょうか

さすがにステンレスは錆びひとつなく残っています

この他にも当時を偲ばせる小物が多数残されていました‥続く‥ポチ!
白く大きなコンクリートの建物‥すっかり色あせてこれも廃墟化してしまっている。これは総合事務所であるらしい。裏側に控える竪坑につながっていてここに入って安全灯を受け取り名前を確認して採鉱に向かっていたのだろう。仕事が終わるとこの中の浴場に入り汚れを洗い流してから家路に‥この中には労働組合の事務所も入っていて、まさに真谷地炭鉱の中枢だった建物だったらしい。

閉山から数十年の月日が過ぎています。

今は訪れる人も全く無い事務所入り口。

ホッパと事務所

既に地図からも消滅しています‥

痛みの激しいホッパ。ここで貨車に積み込まれた石炭は室蘭港や小樽港に運ばれていったそうです。他の炭鉱の選炭工場と同じく上屋はすでになく、この上屋についていたといわれる五方星をかたどった北炭の社章を見ることが出来ません。これを支える足元も折れ曲がり痛みが激しい。夕張のホッパはここと登川でしか見ることが出来ません。

選炭工場の跡。すぐ下は深い谷になっていて敷地が如何に狭かったかがわかる。急傾斜な土地柄か炭層も急傾斜であったため階段掘りや欠口採炭などの採炭方法を使っていたらしい。周囲には病院跡 だと思われる廃墟もあり静かな谷になっています。

真谷地はもう少し撮っていますので、また紹介します‥ポチ!

閉山から数十年の月日が過ぎています。

今は訪れる人も全く無い事務所入り口。

ホッパと事務所

既に地図からも消滅しています‥
痛みの激しいホッパ。ここで貨車に積み込まれた石炭は室蘭港や小樽港に運ばれていったそうです。他の炭鉱の選炭工場と同じく上屋はすでになく、この上屋についていたといわれる五方星をかたどった北炭の社章を見ることが出来ません。これを支える足元も折れ曲がり痛みが激しい。夕張のホッパはここと登川でしか見ることが出来ません。

選炭工場の跡。すぐ下は深い谷になっていて敷地が如何に狭かったかがわかる。急傾斜な土地柄か炭層も急傾斜であったため階段掘りや欠口採炭などの採炭方法を使っていたらしい。周囲には病院跡 だと思われる廃墟もあり静かな谷になっています。

真谷地はもう少し撮っていますので、また紹介します‥ポチ!